2013年に始まった「ブラック・ライブズ・マター」(黒人の命は重要)の行進をはじめとする分散型社会正義運動の高まりと同時に,ロールプレイングゲームデザイナーは,LARP(ライブアクションロールプレイング)とTRPG(テーブルトップ・ロールプレイングゲーム)の両方で,私たちの遊び方の物語構造に批判的な視点を投げかけてきた.これらの運動が,アウトサイダーとされるアイデンティティを持つ人々,つまり人種的マイノリティのメンバーや,他の人々よりも機会や発信力が少ない人々が,社会の構造的不平等に抗議するのと同様に,従来のゲームの構造的不平等を批判がある.例えば,異なるバックグラウンドを持つ人々にロールプレイングゲームへの関与を躊躇させる一因に「ゲームマスター」ありきの従来のゲームの構造にあると考える.ゲーム体験を調整し促進する「ゲームマスター」は,当然ながら他のプレイヤーと比較して,物語に影響を与える大きな非対称の力を持つ.これは実際の社会における他の非対称(さらには不当な)構造に似ている.こういったゲームは,この役割が常に必要とされるわけではなく,プレイを阻害する可能性に言及している.これに対してゲームマスターのいないゲーム,「GMなしゲーム」は,しばしばプレイヤーによる創造的な道を拡大する可能性を持つ.一人ひとりのプレイヤーの想像力の制限を,ゲームの支配者たるGMから解放するからだ.本稿では,まずゲームマスターの役割に関連する従来の役割・責任を明らかにする.またLARPとTRPGの両方において,公表されているGMなしのデザインが,それらを再構築,再ミックス,また再解釈されて,より平等で,多くの人にとって魅力的な遊びを可能にしていることを論じる.