Kamm, Björn-Ole and JARPS Editors. 2025. "Editorial: Props, Techniques, and Inspirations for Analog Role-Playing." Japanese Journal of Analog Role-Playing Game Studies, 6: 1e-8e.
引用方法:カム ビョーン=オーレ・RPG学研究編集委員会. 2025.「第6号発刊の趣旨:アナログロールプレイングのための小道具,技術,インスピレーション」『RPG学研究』6号: 1j-8j.
DOI: 10.14989/jarps_6_1j[0.1] 本誌2025年号の発刊の趣旨は,「Tools of the Trade(七つ道具)」をテーマに,アナログ・ロールプレイング・ゲームの物質的次元を検討するものである.前号の「アクセスとアクセシビリティ」に関する議論を発展させ,本号では,物体,環境,技術がいかにして遊びを共同生成するかを探究する.関係的物質主義の視座から,本趣旨は,サイコロ,ルールブック,コスチューム,小道具,さらにはAIツールまでもが単なる付属物ではなく,共創者として創造性,包摂性,学習を形づくると論じる.アクセシブルなルールブックデザイン,LARPにおける身体的物語表現,ライブプレイにおけるデジタル技術の導入といった多様な事例を通じて,本号の各論文は多様な物質的エージェンシーの形態を考察する.それらは総じて,アナログ・ゲーミングにおいて有形と無形がいかに交錯するかを明らかにし,本領域を支える道具,実践,関係性の再考を読者に促すものである.
[0.2] キーワード:アクターネットワーク理論,エージェンシー,物質性,物質性,道具
[0.3] The editorial to the 2025 issue of the journal examines the material dimensions of analog role-playing games under the theme “Tools of the Trade.” Extending last year’s discussion on access and accessibility, this issue examines how objects, environments, and technologies co-produce play. Drawing on a relational-materialist perspective, it argues that dice, rulebooks, costumes, props, and even AI tools act as collaborators rather than mere accessories, shaping creativity, inclusivity, and learning. From accessible rulebook design and embodied storytelling in larps to the integration of digital systems in live play, the featured contributions investigate diverse forms of material agency. Together, they reveal how the tangible and intangible intertwine in analog gaming, inviting readers to rethink the tools, practices, and relationships that sustain the field.
[0.4] Keywords: Actor-networks, agency, materiality, relationality, tools.
[1.1] アナログ・ロールプレイング・ゲーム(RPG)は,想像力に富んだ物語性と卓を囲むプレイヤー間の社会的協働によって,長らく称賛されてきた.しかし,あらゆる壮大な物語や決定的なダイスロールの背景には,質素なオブジェクトの一団が潜んでいる.その一団には,サイコロそのもの,キャラクターシート,ルールブック,ミニチュア,カード,鉛筆,衣装,小道具,さらにはプレイが行われるテーブルや舞台,部屋までも含まれる.これらはアナログRPGにおける「Tools of the Trade (七つ道具)」であり,『RPG学研究』誌の今号ではそれらの物質的な重要性に光を当てている.私たちは往々にして,これらの道具を当たり前のものと考え,「本当の」ロールプレイ行為(想像上であり対人的なもの)を支える補助的な存在にすぎないと見なしてしまう.本趣旨では別の視点を提示したい。すなわち,これら物理的な道具がただ受動的な小道具にとどまらず,プレイの能動的な参加者であるとしたらどうだろうか.言い換えれば,人間とモノの双方がプレイ体験の創出に絡み合うネットワークとしてアナログRPGを理解することはできないだろうか.
[1.2] この問いに答えるため,本趣旨では関係論的・物質論的なアプローチに議論の基盤を置く.それはしばしばアクターネットワーク理論(ANT)として知られているものである.ブルーノ・ラトゥールは,効果が現れるところにはどこでもエージェンシーを認めるべきだと主張している.すなわち「事態に差異を⽣じさせることで状況を変化させるものは何であれアクターである」 (ラトゥール 2019, 141)のだ.RPGの文脈では,これは次のような意味を持つ.物語の展開を変える20面体のサイコロ,プレイヤーの選択を制限または可能にするルールブック,想像の世界とルールメカニクスの仲立ちをするキャラクターシート,キャラクターの身体化の様態を変容させる衣装や小道具――これらの一つ一つがゲームネットワークにおけるアクターなのである.それらは「単なるモノ」ではない.展開される出来事を能動的に形作っているのである.ダイスロールが物語を予想外の方向へ導いたとき,あるいはルールブックのレイアウトによってゲームの習得が容易になったり逆に困難になったりしたとき,その結果は人間のプレイヤーの意図だけに帰せられるものではない――物質的な道具もこの事態における発言権を有しているのである.こうした見方は,私たちに,アナログゲームを,単に小道具によって付け足された純粋に人間のドラマとしてではなく,人間と非人間の要素からなる集合体として捉えるよう促す.Tools of the Trade (七つ道具)は徹頭徹尾「Trade (作業)」の一部であり,我々とともにプレイを共創しているのである.
[2.1] ANTの「エージェンシーの分散」というレンズを通してRPGを眺めると,いくつかの含意が浮かび上がる.第一に,それは人間の創造者やプレイヤーを頂点に置き,道具を従属的なものとする従来のヒエラルキーを解体する.その代わりに,プレイへのあらゆる寄与者をネットワークの一部として捉えることになる.プレイヤー,ゲームマスター,サイコロ,本,地図,ペン,衣装,セーフティメカニクス等々,それぞれが影響関係の中で結びついているのだ.これはサイコロが人間のように意図や欲求を持つことを意味するわけではない.しかし,サイコロの物質的な特性(形状,重さ,ランダム性)やサイコロとの相互作用(振られること,読み取られること,参照されること)が,次に何が起こるかにリアルな影響を与えることを意味している.ANTでは「actant(アクタント)」という用語を用いて,人間であれモノであれ何かを行為したり出来事を引き起こしたりするあらゆる存在を指す.それは,行為が特性ではなく関係であることを強調するものだ.プレイヤーとルールブックは,相互作用によって,単独ではどちらも生み出せない結果(例:解釈されたルール)を生み出す.関係論的・物質論的な立場は,どの相互作用が最も重要かをあらかじめ判断することなく,それらの相互作用をマッピングするよう私たちに求める.実践において,これは驚くべき発見につながりうる.突然,サイコロの転がる音やキャラクターシートの手触り,ルールブックの挿絵といったものが,もはや些細な細部ではなくなる.それらはゲームの展開を変えうる行為の現場となるのである.例えば,ダンジョンズ&ドラゴンズ第5版のルールブック (クロフォード et al. 2022)に多様なイラストが増えたことで,新たなプレイヤーの流入と「安全な空間」の創出が報告された (McGrane 2018; Carlson 2020).物質的エージェンシーを認めることで,RPGのセッションがどのように,またなぜそのような展開を示すのかについて,より豊かな理解が得られるのだ.
[2.2] それぞれの参加者は,ネットワークにおけるエージェントとしての位置と他者との相互作用様式に由来するアフォーダンスや可能性,行為の制約を担っている.したがって,ゲームの物質的構成は,創発的な物語や社会的ダイナミクスの形成に一役買っている.ミニチュアやグリッドに大きく依存するゲームは,綿密で戦術的なプレイとルールの正確さを促す傾向にある.一方,ペンと紙と想像力だけで行われるゲームは,描写的な創造性と柔軟性を促す傾向にある.同様に,手の込んだ衣装や物理的環境に重きを置くLARPは,身体的な没入と即興を促進することが多いのに対し,簡素なトークンや最低限の小道具に頼るLARPは,人と人とのダイナミクスや感情的な物語展開を際立たせる場合がある.どちらのアプローチも本質的に優れているわけではない――それらは人間とモノからなる異なる集合体であり,各々が独自のネットワーク効果を持っている.こうして,現代のRPG研究における重要なテーマに行き当たる.それが不確実性と多元性である.
[3.1] ロールプレイングゲームとは何か,あるいはそれにどんな道具が必須なのかという単一の本質的定義を求めるのではなく,関係論的・物質論的な視座は,この実践の不確実性,多様性,そして常に進化し続ける性質を受け入れることを促す.一般的な定義を試みても,実際のプレイにおける内容,プレイスタイル,創造的アジェンダのあまりの多様さによって,たちまち揺らいでしまう.各グループはそれぞれ多少異なるやり方で事を行っている可能性があり,この実践がいかに流動的で文脈依存的であるかは強調しすぎることがない.ある状況で意味のあるゲーム要素と見なされるものが,別の状況では取るに足りないものかもしれない.この洞察は,抽象的な定義を予め押し付けるのではなく,アクター(人間であれ非人間であれ)を追跡してそれらが実際に何を行うのかを見るべきだというラトゥールの指摘と合致している.そうすることで,我々はあらゆる局面に不確実性を見出すことになるが,それは否定的な意味での不確実性ではない.それは,開かれた活動が実践の中で絶えず自己を再定義していく際に生じる,生産的な不確実性なのである.
[3.2] ここで言う不確実性とは,社会的な活動の「形」が事前に固定されていないことを受け入れることを意味する――グループは形成されては解散し,ルールは議論されてハウスルール化され,結果は予測不可能である.多元性は,形態の異種性と定義の複数性が存在し,各々がその文脈において妥当であることを認識させてくれる.本号の主任編集者は,以前ロールプレイングゲームを「実践のassemblage(集合体)」――人間,物質,観念が様々なプレイの配置の中で絡み合った総体――であると表現した (Kamm 2020).この集合体概念は,RPGが単独の孤立したもの(テキストや物語やゲームシステムだけといったもの)ではなく,プレイ中に結集する諸要素から成ることを強調している.集合体やネットワークという考え方を取ることで,ロールプレイングの異質な性質を認めることになる.すなわち,あるセッションには,考えや目的を持つ人々,身体や動作,規則やフィクション上のトロープなどの概念といった物質的・象徴的なものがすべて相互作用しながら含まれているのだ.ネットワークのどの部分を変えてみても――新しい道具,新しいプレイヤー,新しい文化的文脈を導入すれば――体験自体も変化しうる.
[3.3] 多元性を受け入れることはまた,ロールプレイングゲームが(社会的な)実践として抱える「混沌」ぶり,およびそれを我々がいかに研究できるかを認めることも意味する (Law 2004) を参照.あたかも単一で均質な「ロールプレイング・コミュニティ」あるいは普遍的なRPG文化が存在するかのように語ることは,人間と非人間の相互作用が雑多で,状況依存的で,絶えず変容しているという現実に反する.コミュニティは数多く存在し,ミクロ文化も数多く存在し,各々が自らの好む道具,専門用語,価値観を織り合わせている.この異種性はバグではなく,機能なのである.それは,RPGが生きていることを物語っている――すなわち,人間と物質が新たな構成を見出すにつれて,RPG自体が進化し適応していくということだ.この意味での不確実性とは、単にサイコロを振ったときの予測不可能性だけではない.それは,ネットワークとしてのロールプレイ実践が再発明に対して開かれていることを意味している.新たなゲームデザインは斬新な道具を導入し(例えば,従来アナログであったゲームにカード,タロットデッキ,アプリが登場したことを考えてみてほしい),新たなプレイヤーコミュニティは実践を修正していく——こうしたすべてが,RPGのあり方の境界を押し広げているのである.こうした不確実性と多元性に調律した心構えがあれば,「RPG」に最終形はなく,家族的類似によって結ばれた豊かな可能性の地平が広がっているにすぎないという考え方にも,容易に馴染めるだろう (ウィトゲンシュタイン 2020; Arjoranta 2014).
[4.1] 我々が提唱する関係論的な視点――定義ではなくネットワークに焦点を当てるというもの――には,実践的かつインクルーシブな利点がある.「これは適切なRPGと見なせるか?」と問うのをやめ,「ここではプレイヤー,道具,アイデアのどのようなネットワークが機能しているのか?」と問うようにすれば,RPGの世界のあらゆる局面から学ぶことができるようになる.例えば,公園でコスチュームやスポンジ製の武器を用いるライブアクションロールプレイは,表面的には紙とダンジョンクロールとは全く異なるように思えるかもしれない――そして確かに物理的な遊びの道具は異なっている――それでも両者は同じ関係論的なレンズで理解することができるのだ.どちらも人間とモノからなるネットワークである.LARPの参加者は,自らの身体・小道具・物理的空間を主要なアクタントとして持ち,一方TRPGのゲーマーはサイコロ・地図・書籍を有している.両者のネットワークはいずれも,社会的な合意を取り付け,ルール(明示的であれ暗黙的であれ)を解釈し,協働してフィクション上の現実を創造しなければならない.これらのネットワークを比較することで,洞察に富む対照が見えてくるかもしれない.例えば,LARPにおける身体化された行為の直接性と,卓上プレイにおける表記(ヒットポイントやキャラクターステータス)の媒介的役割との対比である.各形式は互いに相手について私たちに教えてくれる.そしてさらに重要なのは,どちらも特権化される必要はないということである.両者は異なる道具を通じて異なる形で実現されているにすぎない.
[4.2] したがって,今号のテーマである「Tools of the Trade (七つ道具)」は,アナログゲームで用いられる物理的な道具を列挙することにとどまらない.それらの道具がロールプレイという活動に根本的に関与し,その活動を形作っている様態を理解することに主眼が置かれているのだ.『RPG学研究』第6号への寄稿論文はそれぞれ,この物質論的な探究を異なるやり方で追求している.例えば,ANTのフレームワークをより精密かつ具体的にするために,我々はゲーム内のオブジェクトや物質が単なる背景にとどまらずプレイヤーと「協働」しうることを実証する寄稿を依頼した.別の寄稿では,我々のホビーでもっとも遍在する道具の一つであるルールブックに批判的な視線を向けている.アクセシビリティというレンズを通してルールブックのデザインを検証することで,ルール文書の物理的・視覚的な形式がいかにプレイヤーを包摂したり排除したりしうるかを示している.これは,道具が社会的・倫理的次元を帯びていることを強く想起させる.さらに別の論文では,デジタルな道具がアナログの場に持ち込まれると何が起こるかを探究し,デジタルのインフラストラクチャがどのようにプレイの物質的ネットワークの一部となりうるかという問題を提起している.これは,人間と非人間,アナログとアルゴリズム的なものとの境界を曖昧にする問いでもある.すべての寄稿は,本稿のより大きな議論を反響している.それは,我々のゲームにおける物質的フォーマットが,プレイの社会的体験がどのように構築されるか(例えば誰が十分かつ快適に参加できるか)に深く関わっている,ということである.
[5.1] この物質性へのフォーカスは,昨年号でアナログゲームにおけるアクセスとアクセシビリティを扱ったテーマの延長上にある.2024年のエディトリアルでは,参加者を排除しうる構造的な障壁とバイアスに光を当て,より適応性が高くインクルーシブなデザイン枠組の開発を促した (カム・フロイデンタール 2024).画一的なソリューションを超え,ジェンダー,障害,社会経済的背景など多様なニーズを考慮して,すべての人にとって居心地の良いゲーム空間を作り出すことの重要性が強調されたのだ.多くの点で,そうしたインクルーシブなデザインが実践と交わる場所が,物質的な道具の領域なのである.ルールブック,キャラクターシート,サイコロ,コスチューム,あるいはゲーム部屋のレイアウトでさえ,参加を促すことも妨げることもありうる.今年,我々が物質的側面に焦点を当てたのは,そうした対話を続けるためである.すなわち,アナログ・ロールプレイの小道具や技法が,いかにより大きなアクセシビリティ,創造性,そしてつながりを促進できるのか,という問いを追究することである.本号の6つの寄稿論文は,各々が異なる角度からその問いに取り組み,総体としてプレイにおけるモノのエージェンシーに関する一つの物語を織り上げている.
[5.2] 本号は,ラファエル ビエニアの招聘論文から始まる.彼は,本年の主任編集者と,アクターネットワーク理論(ANT)およびゲームの物質性への共通の興味を有している.ビエニアの著書『Role Playing Materials』は,コスチューム,コンピュータ,ペンと紙といったものがRPGにおいて受動的な要素ではないと主張している (Bienia 2016).むしろ,これらの物質は物語やメカニクスと積極的に協働し,プレイを通して変化をもたらし,また変化させられているのだ.「TRPG卓上のアリたち(ANTs)」において,ビエニアは自身のアプローチと言葉遣いの概要を手短に示している.彼は一見無秩序に見えるゲーム卓(ルールブック,サイコロ,スナック,BGM,散らばったメモで溢れている)を分析し,それがいかに複雑なアクター=ネットワークを構成しているかを示してみせる.5つの主要な物質的アクター(照明,テーブル,キャラクターシート,鉛筆,GMスクリーン)を分析することによって,非人間の要素がプレイセッションで発揮する繊細なエージェンシーを描き出している.創造的なひねりとして,彼の分析ではこれらのオブジェクトが自ら「語る」ことを可能にしている.つまり,照明やキャラクターシートのような一人称の声を採用して,各々がロールプレイ体験にどのように寄与するかを明らかにしているのだ.小道具に声を与えるというこの異色の手法は,我々の人間中心的な慣習に挑戦を突きつけ,プレイのしばしば見過ごされがちな媒介者たちを可視化する.ゲームのマジックサークルは,人間と物質のアクターが歩調を揃えて働くアンサンブルによって支えられている.ビエニアに寄稿を依頼したのは,本号を通底するある確信を強調したかったからである.それは,ロールプレイの物理的な道具は単なるアクセサリーではなく,物語的・社会的体験の共同創造者なのだという確信である.
[5.3] ビエニアが物質的エージェンシーに関して理論的考察を示したとすれば,続く記事は非常に実践的な物質――控えめな存在であるルールブック――に目を向ける.カーティア カジミロ,マイケル ジェームス ヘロンとカーラ ソウザは,「ルールブックをわかりやすく、面白いものにするには?」と問いかける.新しいボードゲームやTRPGを習得することは,多くの場合ルールを読むことから始まる――つまり,楽しみのための技術マニュアルを読むということだ.しかしカジミロらが指摘するように,「ゲームを学ぶには特殊なリテラシーが必要だ」ということ,およびルールブックからゲームを把握できないのは,たいていルールブックの複雑さや認知負荷に起因しており,プレイヤーの能力不足のせいではないということが強調される.言い換えれば,ルールブックが理解不能であるとすれば,それはデザイン上の欠陥であって,ゲーマーの落ち度ではない.本論文は,前号で提起されたアクセシビリティのテーマを直接に引き継いでいる.著者らは,ルールブックのデザインがいかに認知的バリアを下げ,新規参入者や多様なニーズを持つ人々を遠ざけるのではなく包摂できるのかを分析する.彼らは認知心理学とインクルーシブデザインに根ざしたベストプラクティスを提案している――専門用語を削減するためのやさしい言語ガイドラインの利用から,レイアウトやタイポグラフィ,ひいてはマニュアルの物理的サイズの最適化による可読性の向上に至るまで.ルール(テキスト,表,図)の物理的形態は,プレイヤーをゲーム世界に招き入れることもあればうっかり締め出してしまうこともある重大な道具として扱われている.アナログゲームのルールにおいて認知的アクセシビリティを前面に押し出すことで,カジミロらはインクルージョンをデザイン技法の領域にまで拡張している.彼らの提言は,しばしば見過ごされがちなこの商売道具――ルールブック――に対して慎重に手を入れることで,テーブルトップ・ゲーミングを誰にとってもより受け入れやすく楽しいものにできることを示している.
[5.4] 続く寄稿は,環境それ自体が主要な小道具となるアナログゲームのジャンルに目を向ける.リアル脱出ゲーム(SCRAP社が日本で始めた人気のライブパズルイベントの一形態)である.石田喜美は,リアル脱出ゲームにおけるナラティブの役割を探求する.これらのゲームは,プレイヤーを物語の主人公の役割に置き,テーマに沿った環境で一連のパズルを解いて「脱出」しなければならないものだ.表面的には,それらは没入型の物語体験を約束しており,プレイヤーはしばしば映画や小説の登場人物になったように感じる.しかし石田の論文は,奇妙な緊張関係に踏み込んでいる.すなわち,脱出ゲームにおける「物語」の正確な役割はしばしば曖昧だということだ.プレイヤーが物語を劇的に変化させることができるRPGとは異なり,脱出ゲームは固定化されたシークエンス(パズルAを解かないとパズルBに進めず,最終的にエンディングに到達する)を持つ傾向がある.それでは,特に若い創作者たちが自作しようとする際,物語はこれらのゲームでデザイン要素としてどのように機能するのだろうか.石田は,高校で行われた脱出ゲームのデザインコンテストの提案書を分析することでこの問いを探っている.その所見から,興味深い共通の筋道が浮かび上がった.第一に,学生デザイナーたちはほぼ例外なく,同じ固定化された「物語イベント」,すなわちパズルを解いて脱出するという一連のサイクルを自分たちのゲームの核となる物語構造として採用している.本質的に,設定やプロット上の装飾にかかわらず,脱出というトロープが物語の錨となり,ゲームごとに複製・リミックスされる既製の物語の背骨を提供しているのである.第二に,これらの若いデザイナーたちは,日常の現実をフィクションのレンズを通じて再解釈し,自らのゲーム世界を生み出す傾向を示している.教室やロッカー,学校の怪談といった,ごく普通の場所や経験が,「これがゲームならどうなる?」という視点で見られると,フィクションのシナリオの構成要素に変貌するのだ.これは,脱出ゲームの遂行的な物質的セッティング(パズルや小道具を備えた物理的空間)が物語を大きく規定していることを示唆している.緻密なプロットではなく,パズルを解くという行為そのもの(および現実の環境を創造的に利用すること)が,ドラマの起伏を提供しているのである.石田はこのように「物語」をもう一つの道具として位置づける.つまり,創作者によって取り出され,改変され,新たな文脈に組み込まれることのできるデザイン上の道具なのである.この論文は,物語の要素でさえ小道具や技法のように機能し,創造的に援用され得ることを示している.また,物質的現実とフィクションの間のフィードバックループも浮き彫りにしている.脱出ゲームでは,物質的な制約(鍵,手がかり,物理的な部屋)が物語を促進もすれば制約もする.これは,アナログゲームでは,我々が語る物語は常にある程度,それを共に作り上げている空間やオブジェクトによって共著されているのだという痛切なリマインダーである.
[5.5] ルールブックや物語からゲームシステムへと移り,次にジェイコブ・リードによるエッセイが登場する.これは,ボードゲームと伝統的なTRPGとの間に生まれつつある架け橋を探究するものだ.リードのエッセイ「TRPGへの踏み石としてのキャンペーン型ボードゲーム」は,RPGの長編の物語やキャラクターの成長を模倣する新種のボードゲームを検討している.『Gloomhaven』(Childres 2017)や『Kingdom Death: Monster』(Poots 2015)のようなゲームは,連続した物語と発展するキャラクターを備えながら,人間のゲームマスターを必要としない.リードは,これらのキャンペーン型ボードゲームがTRPGの重要な側面(協働的な物語,プレイヤーのエージェンシー,戦略的複雑さ)を映し出しつつ,あらかじめ定められたシナリオやより厳格なルールに依存する点で異なることを強調する.とりわけ,彼はそのようなゲームが「特に初心者にとってTRPGへの身近な代替手段」を提供すると論じる.豊かな物語を備えた構造化された体験を「よりアクセスしやすい形式」で提供してくれるからだ.本格的なRPG(経験豊富なGMや即興のスキルを必要とする)とは異なり,キャンペーン型ボードゲームは誰もがすぐに遊び始められる「箱から出してすぐの」冒険を提供し,TRPGホビーへの入口として機能する.この論文は,物質性の別の側面にスポットライトを当てる.すなわち,ゲームシステムとコンポーネント(ボード,カード,シナリオブックレット)自体が,物語的プレイへの訓練の場として機能するという点だ.本号の趣旨に沿って,このエッセイはこれらのハイブリッドゲームを道具――より自由なロールプレイへの参入ハードルを下げるオンボーディング用ツール――として位置づけている.このエッセイは,ボードゲームとRPGの間に明確な断絶ではなく連続性を見るよう読者に促し,ボードゲームデザインにおけるイノベーションが,よりインクルーシブなロールプレイ体験への経路を開く可能性を示唆している.
[5.6] アクセシビリティというテーマとその限界は,寺島哲平と深松亮太によって別の角度から取り上げられている.彼らの短い研究ノートは,「アナログゲームは長期的な学習の効果的なツールとなりうるか?」という問いを投げかける.大学の場でボードゲームを教育教材として用いるという探索的研究において,彼らは興味深い結果を観察した.ゲームプレイ直後には,参加者が学習内容に対して高い関心とエンゲージメントを示し,短期的な成功を収めていた.しかし1か月後に再度テストしたところ,長期的な学習効果は確認されなかった.寺島と深松は,その結果の教育学的含意について論じている.コマやルールに基づく課題を含むボードゲームは,その瞬間,学習者のモチベーションと没入度を明らかに高め得る.しかし,ゲームが終わった後に知識が転移・定着しなければ,持続的な教育的インパクトは限定的かもしれない.この冷静な結果は,「ゲーミフィケーション」の流行と,どんな学習ゲームも銀の弾丸であるという想定に対する現実的な検証として機能する.それは,我々の道具を批判的に評価することの重要性を浮き彫りにしている.ボードゲームは興味を喚起する素晴らしい小道具(インスピレーションを与えるツール)たりうるが,複雑な技能を長期的に保持させる単独の解決策にはならないかもしれない.カリキュラムにおいてアナログゲームが達成し得ることの限界を示すことで,著者らはデザイナーや教育者に対し,道具とはそれが用いられる広範な文脈と戦略において効果を発揮するにすぎないことを喚起している.彼らの研究は,本号を貫くテーマにニュアンスを付け加えている.すなわち,物質的な道具は人をエンパワーし惹きつけるが,同時にその制約も理解した上で賢く使用しなければならない,ということである.
[5.7] 物理的な小道具やゲームから,本号はアナログの場に入り込むデジタル技術へと話題を移す.将来を見据えたケース報告において,諸石敏寛は,ライブアクション・ロールプレイのイベントを支援する道具として生成AIを実験的に用いた事例を紹介する.諸石の論考は,GoogleのNotebookLM(AI言語モデル・サービス)が最近の日本の2つのLARPイベントでどのように展開されたかを述べている.この報告では,2つの重要な問いが提示されている.第一に,AIアシスタントは小規模LARPの主催者の運営負担を軽減できるだろうか.第二に,プレイヤーがゲームの内容をナビゲートするのを助けることで(例えばルール上の質問に答えたりキャラクター作成を支援したりして),参加者の体験を向上させることができるだろうか.主催者の視点から見ると,NotebookLMは追加のゲーム運営補助のようなものであり,プレイヤーからのゲーム内の質問に素早く答えたり,要求に応じて物語の詳細を提供したりすることで,人間の主催者が複雑なインタラクションの裁定に集中する余裕を生み出した.プレイヤーにとって,特に初心者にとっては,LLMツールはLARPの伝承やルールという迷宮を案内するガイドとして機能し,本来であれば情報過多な体験への参入障壁を下げていた.諸石の実践的洞察は,本号の物質論的テーマと共鳴する.この場合,一つのソフトウェアがアナログ・ロールプレイングの道具立ての一部となっている.AI言語モデルを参加者が相互作用できる小道具やノンプレイヤーキャラクター(NPC)として扱うことで,デジタルとアナログのプレイの境界が曖昧になる.重要なことに,これはそのLARPの「アナログ」な性質を損なうわけではない.むしろそれは強化されるのである.ちょうど,適切なヒントやルールブックの明確化がそうであるように,常に注意深い仮想アシスタントによって即座に提供されるだけなのだ.RPGが発展し続ける中で,このような例は,「Tools of the Trade (七つ道具)」として何が該当しうるかという我々の概念を拡張することを促す.裏方で稼働するAIでさえ,LARPのアクターネットワークに加わり,没入やアクセシビリティのためにプレイ体験を媒介し得る.もっとも,生成AIの利用は,物質的にも社会的にもさらに多くの問いを当然投げかけるが,ここではそれらを扱わない.
[5.8] 総じて言えば,『RPG学研究』今年号の諸論文は,しばしば正当な評価を受けてこなかったアナログ・ロールプレイングの道具という風景を巡る旅を読者に提供している.私たちは,プレイを可能にするために人とモノが集まるネットワーク――テーブルそのもの――を照らすことから始め,最後には,物語やデザインの慣習さえも新たな目的のために微調整しうる物質的ツールキットの一部であることを考察するに至った.すべての寄稿に一貫する共通の糸は,物質性とエージェンシーへの着目である.ルールブックの言語であれ,ボードゲームの構造であれ,AIのサポートであれ,エスケープルームのパズルであれ,それぞれの物質的要素は,人々を包摂したり排除したり,創造性を触発したり制限したり,世界を橋渡ししたり壁を強化したりする可能性を秘めている.これらの小道具や技法に注目することで,我々はアナログ・ロールプレイングゲームを人間と非人間の集合体としてより深く理解できると,著者たちは総じて論じている――それは,デザイナー,研究者,プレイヤーとしての我々が意図的に形作ることのできるアセンブラージュなのだ.
[5.9] 物語と想像力に魅了されがちなこの領域において,本号は触知できる現実と,我々の空想の飛翔を支える縁の下の力持ちに改めて焦点を当てるよう促している.アクターネットワーク的アプローチが示唆するように,ロールプレイの社会的経験は,これら物質的アクターによって共同生産されている (Bienia 2016; Kamm・Becker 2016; Kamm 2020).この洞察を受け入れることで,新たな可能性が開ける.それは,インクルージョンやアクセシビリティの改善が,コンポーネントの微調整やルールの書き換えから始まるかもしれないことを意味する.それは,革新が古い小道具を新しい方法で再利用することや,別のゲームジャンルからデザイントリックを借用することから生じうるということを意味する.そしてそれは,アナログRPGの研究がプレイヤーだけでなくモノをも追っていかなければならないということも意味する――あらゆるテーブルやLARP会場に並び,静かにドラマを演出している七つ道具の数々をである.これらの道具に光を当てることで,我々はプレイの物質的基盤についてより広範な対話を喚起できればと願っている.結局のところ,サイコロ,ボード,書籍,そして部屋の照明でさえも(文字通り)重要であると認識することで,私たちはより魅力的で包摂的で想像力に富んだロールプレイ体験を構築する力を自らに与え,それらの実践=ネットワークをより徹底的に分析するための新たな視座を提供してくれるのである.
[6.1] 『RPG学研究』は,引き続きプレイの物質性を扱う投稿を歓迎するが,今後の号のテーマはノンデジタル・ロールプレイングゲームの研究と実践における他の領域に焦点を当てる予定である.今後刊行予定の号では,歴史や歴史記述の問題が探求され,アナログ・ロールプレイングのローカルな歴史にも焦点が当てられる.LARPやTRPGの歴史をどう書くべきか?歴史で遊ぶにはどうすればよいのか?
[6.2] もし教育的あるいは治療的な環境でTRPGやLARPを活用することを探究しているならば,ぜひその所見を「実践報告」の形で共有していただきたい.そうした投稿は,ロールプレイが実践においてどのように機能しているかに関する重要な視点を提供し,そのようなゲームが多様な文脈や異なる参加者にもたらす可能性について,我々の集合的理解を深めてくれる.同様に,ロールプレイングゲームに関する書籍があなたの思考や実践に大きな影響を与えたのであれば,「書評」は対話を継続し,コミュニティのこの分野への認識を広げる絶好の方法である.
[6.3] さらに,没入感(immersion),感情移入(bleed),合意形成(calibration)といった基礎的な概念に関する理論的議論や,プレイヤーがどのようにメカニクスと関わるか,特定のジャンルがプレイ文化にどう影響するか,主催者が透明性や物質的制約といった問題にどう対処しているかを検証する実証的研究も奨励したい.そのような研究は,新たな視点とエビデンスに基づく洞察をもたらすことで,我々の分野の境界を押し広げてくれる.
[6.4] もなお,私たちは,ロールプレイングゲームの研究を推し進めることに献身する研究者や実践者からなるコミュニティを,常に拡大しようと努めているため,もし本誌の査読者陣に加わりたいという方がいらっしゃったら,ぜひご連絡をいただければと思っている.1 新たな仲間を温かく歓迎したい.
[6.5] 特集号やゲスト号はともに,現代のロールプレイングゲームの研究と実践における特定の側面に焦点を当てている.例えば,教育的な利用,プレイヤーとキャラクターの関係,あるいはプレイにおける身体の役割などである.ゲスト編集者を引き受けることに関心のある研究者には,標準の投稿プロセスを通じて号の提案を行うことを推奨する.
[6.6] 2023年以降,『RPG学研究』は随時投稿を受け付けている.特定の号のテーマに合致しない,あるいは公募期間外に投稿された原稿も歓迎する.査読が完了次第,それらは今後の号に組み込まれる予定である.
[6.7] 我々は,引き続き,著者や読者の皆様とともに,豊かに変化し続けるノンデジタル・ロールプレイングゲームの風景を探究できることを心待ちにしている.
[7.1] 毎年『RPG学研究』のシンポジウムを支援してくださっているGame in Lab2に加え,言語の壁を越えて我々のイベントをつなぐことを可能にしてくださっている通訳者,ラプシュ麻衣氏と武田誠氏にも,心より感謝申し上げる.