Kamm, Björn-Ole and Michael Freudenthal. 2024. "Editorial: Exploring Access and Accessibility in Analog Role-Playing Games." Japanese Journal of Analog Role-Playing Game Studies, 5: 1e-9e.
引用方法:カム ビョーン=オーレ・マイケル フロイデンタール. 2024.「第5号発刊の趣旨:アナログ・ロールプレイング・ゲームにおけるアクセスとアクセシビリティの探求」『RPG学研究』5号: 1j-5j.
DOI: 10.14989/jarps_5_1j[0.1] 本誌2024年号の発刊の趣旨は,アナログ・ロールプレイングゲームにおける「アクセス」と「アクセシビリティ」という相互に関連するテーマへと読者を導くものである.構造的な障壁や社会的偏見を浮き彫りにすることで,編集者たちは,ゲームにおける周縁化された人々や少数派のグループに対する包摂性の促進の重要性を強調している.本趣旨では,普遍主義的な「アクセス」のアプローチを超えることの必要性を訴え,多様なニーズ―例えばジェンダー,人種,社会経済的背景,障害など―を考慮した適応的な枠組みの重要性を説いている.学術的,活動家的,そして個人的な視点から得られた知見に基づき,本号では,アナログ・ロールプレイングゲームをより包括的にするための設計ツールや参加型戦略といった革新や課題が取り上げられている.最終的に,本号は,ゲーム空間を再考し,再構築するための協働的な対話を呼びかけ,すべての参加者にとって歓迎されると同時に力を与える場を確保することを目指している.
[0.2] キーワード:アクセス,アクセシビリティ,語り合い,多様性,包摂性
[0.3] The editorial to the 2024 issue of the journal guides into the interconnected themes of access and accessibility within analog role-playing games. By highlighting structural barriers and societal biases, the editors emphasize the importance of fostering inclusivity for marginalized and minority groups in gaming. The editorial advocates for moving beyond universalist approaches to access, stressing the need for adaptable frameworks that consider diverse needs, including gender, race, socioeconomic background, and disabilities. Drawing from academic, activist, and personal perspectives, the issue highlights key challenges and innovations in making analog role-playing games more inclusive, from design tools to participatory strategies. Ultimately, this issue invites a collaborative dialogue to rethink and reshape gaming spaces, ensuring they are welcoming and empowering for all participants.
[0.4] Keywords: access, accessibility, dialogue, diversity, inclusivity
[1.1] アナログ・ロールプレイングゲームにおける「アクセス」と「アクセシビリティ」の交差は,広範かつ深い複雑さを持つテーマである.本稿では,「アクセス」という用語を,マイノリティや周縁化された集団がどのようにして遊びに参加し,その形を作ることが制限されているかを研究し,対抗するための構造的制約を対象とする,インターセクショナルかつ学際的で超文化的な包括概念として位置づける.また,ジェンダー,人種,階級といった観点から遊びへの「アクセス」を論じるニッチな文献が次々と登場している一方で,我々は「アクセシビリティ」という概念,すなわちアクセスの中の多様な障害次元をより明確に含めることを提案する.これにより,より独創的で創造的な考察が促進されると信じる.
[1.2] 編集者として,我々がこの特集号を編集する中で,「アクセス」の意味,遊びの文脈での理解,そして未だに理解できていないことについて,反省的かつ内省的な過程を辿ってきた.本号は,単に答えを提示するだけでなく,問いを開くための場を提供することを目的としている.それは,ゲームにおけるアクセスとアクセシビリティについて,私たちが問いかける質問そのものを再考し,再構築する挑戦を促すものである.
[2.1] この発刊の趣旨を書き始めた際,まず思いついたのは定義を探すことであった.アクセスとは何か.アクセシビリティは誰のためのものか.それをどのように概念的に位置づけるべきなのか.このテーマに取り組む中で,アクセスとアクセシビリティは,特にアナログRPGの文脈において,スペクトラム上の異なる概念であり,それらを狭義に限定することで投稿の多様性を制限してしまう可能性があることが明らかになった.
[2.2] 本特集号でアクセスとアクセシビリティに焦点を当てた決定は,さまざまな種類のロールプレイングゲームの制作とプレイに携わる人々の興味の高まりによるものであり,それは何十年にもわたる研究と活動家の取り組みに支えられている.特集号の共同編集者の一人であるビョーン=オーレ カムにとって,ゲームにおけるアクセシビリティに関する問いを投げかける出発点は,神経多様性に関する自身の先行研究や,プレイ中の慢性疾患との取り組み,そして2022年スウェーデン・リンクショーピングのKnutpunkt(クヌテプンクト大会)で行われた「見える障害,見えない障害」についてのグループディスカッションに関連していた.特に彼は,LARPの主催者が物理的なアクセス(例えば音や臭いの障壁,情報過多など)以外の問題を考慮する必要があるという洞察に共感し,これをJARPS 2024での関連する問いの探求に結び付けた.一方で,もう一人の共同編集者であるマイケル フロイデンタールにとって,この問題は社会文化的およびジェンダー的背景によって規定されていた.彼らは常にゲームコミュニティの内部者であると同時に外部者である立場にあり,無関心,軽視,偏見の根底にあるいくつかの側面を認識する機会を持った.
[2.3] アクセスに関する議論は,マイノリティグループが参加できることを保証することだけではない.それは,誰がどのようにして遊びから排除されているのかを批判的に検討し,その問題を認識し,声を聞く道を探ることである.そのため,アクセスとは,ジェンダー,人種,社会経済的階級,障害など,個人が自らのアイデンティティや背景にかかわらず,システム,制度,またはサービスに参加し,利益を享受する権利,または能力を広く指す概念である.この倫理的立場は,不当な制限の対象を焦点とし,普遍主義的アプローチの陥穽や矛盾を回避することを目指している.アクセスは,単に異なるニーズを持つ個人を受け入れることではなく,そもそも誰が参加できるかを形成する構造,文化,物理的空間を検討することである.この課題は,社会的不平等が誰がゲームテーブルに招かれ,誰が排除されるかという形で反映されるため,政治的に強く結びついた議論となる.
[2.4] ビョーン=オーレ カムの日本におけるロールプレイング実践の流入と流出に関する研究 (Kamm 2020) は,たとえ「アクセス」という枠組みが明示的に用いられていなくても,その問題がすでに存在していることを明らかにした.例えば,2010年代の公的なTRPG大会に参加する女性プレイヤーはほとんどいなかった.最初のインタビューでは,男性参加者の中には「女性はルールが複雑なゲームを好まないからだ」と考えている者もいた.しかし,実際には,女性プレイヤーの不参加の理由はむしろ一部の男性プレイヤーの行動に起因していた.女性だけでなく,同じ理由で友人と自宅でプレイすることを選ぶ男性プレイヤーも多く存在した.しかし,このような公的イベントのニッチな社会的・人口的特徴を研究すると,ジェンダー格差の偏った記述がなされ,これらの問題の理解が妨げられる.公的ゲーム空間における女性の少数派的状況は,ジェンダー・アクセスの問題であり,文化や権力に関する広範な問題と交差している.これは,研究が排除の形式だけにとどまらない,より複雑に絡み合ったアクセスの概念的枠組みを用いる必要性を示している.
[2.5] アクセスの問題は,特定の地域,文化,ゲームジャンル,ダイジェティックな設定などに限定されるものではない.これは,さまざまな社会文化的,物理的な文脈において異なる形で現れるグローバルな課題である.普遍主義的アプローチを取ると,平等や配慮の正反対であるエスノセントリズムやそれに付随する問題を強化するリスクがある.北アメリカや西ヨーロッパでのアクセスの問題が,北アフリカや西南アジアでは異なる経験や認識をされることがある (Evans 2020).こうした認識は,ゲーム実践における文化的側面や特定の文化的文脈で特定の形式の遊びが根付くことを妨げる障壁について,より広範な議論を促す.これを認識することで,一般化への衝動を抑え,アクセスの課題がローカライズされ,文脈に応じた性質を持つことを尊重する,より包括的な議論が促進される.
[2.6] 倫理的観点から社会正義を考えると,アクセスは単なるキーワードやチェックリストの項目ではなく,ゲームや遊びの学術的研究,設計,運営における根本的な考慮事項であるべきである.それは後付けされるものではなく,初めから統合されるべきである (参照: Greco 2018; Hofmann他 2020).アクセスに関する問いを立てる行為は,文化的および物理的空間,およびそれを支配する実践についてのより深い問いへとつながる.これらの問いは,決定的な答えを提供するものではなく,インクルージョンを継続的な姿勢として育むものであり,誰が遊ぶ権利を持つのかという境界を拡張しうる新たな実践につながるかもしれない.
[3.1] > *我々はマイナスのステータスではない (Sjunneson 2019, 6*).1>
[3.2] 本特集号の文献や投稿から得られた洞察の一つは,遊びには自然な境界など存在しないということである.私たちが与えられたものと認識する境界は社会的に構築されたものであり,時には物質的に形成され,アクセスのより包括的なアプローチを通じて再構築されうる.ブルーノ ラトゥール (Latour 2005, 89–90) の考えに従えば,「社会的に構築された」ということは「現実ではない」という意味ではない.例えば,レンガの壁はジェンダー役割と同様に構築されたものであるが,その存在や影響を疑う人はいない.レンガの壁が道を遮り,迂回を余儀なくされるように,構築物は人々に影響を与える.しかし,特に障害に関して,アクセスが生物学やその他の手段を通じて「自然」と論じられる場合,それは私たちの理解と想像力を制限する.学者,デザイナー,プレイヤーとして,私たちは壁を一つ一つ取り除き,それがどのように自然な障壁として構築されたかを理解する必要がある.
[3.3] アクセシビリティに関する議論,特に障害に関連するものは,しばしば医療モデルと社会モデルという二つの支配的な枠組みを中心に展開する.医療モデルは障害を個人の生物学に内在する問題とみなし,社会モデルは障害を主に社会的な障壁の結果とみなす.この二項対立は,問題の焦点が個人にあるのか環境にあるのかという,古くからの自然対養育の議論を反映している.クリティカル障害学は,医療モデルへの対抗として登場し,障害を異常な状態とみなす見方に異議を唱える.この分野は,障害を人間生活の不可分な一部として捉えることを提唱し,社会がそのシステムを設計する方法に深い影響を与える立場を取る (Garland-Thomson 2013).多くの人が主張するように,アクセシビリティは単に障害者のニーズを満たすことにとどまらず,社会の構造そのものを再構築し,公平性を促進することに向けられるべきである.アクセシビリティはもはや問題が生じたときに対処する「受動的」なプロセスであってはならず,すべての設計プロセスに最初から統合される「能動的」なものであるべきである (Greco 2018).この転換は重要であり,アクセシビリティを障害に対処するためだけの補完的なプロセスとみなす考え方から,個々の特性を考慮する包括的なデザイン選択の一環として捉える考え方への変化を示している.
[3.4] > あなたのLARP(または他のタイプのロールプレイングゲーム)にアクセシビリティを能動的に導入することは,LARPがどのように運営されるかにおいて,何が本質的であり,何がそうでないかを検討し,さまざまな能力や制約を持つ人々が可能な限り参加できるようにするために必要な事項を検討することを意味する (Livesey-Stephens・Gundersen 2024, 第4段落).
[3.5] アクセシビリティの課題に取り組むにつれて,特にアナログRPGの文脈において,アクセスは常に交渉のプロセスであることが明らかになる.交渉は常に情報に依存しており,どこで,何が,いつ,誰が関わるゲームやプレイセッション,イベントであるかを知ることが,プレイヤーが自律的にそれが自分に適しているかどうかを判断するために重要である.
[3.6] 本特集号に掲載された記事は,ゲームにおけるアクセスを拡張するための既存の取り組みを示している.先に述べたように,これらの取り組みは障害の領域に限定されるべきではない.それらは他の排除の形態にも対応するよう拡張されるべきである.普遍的なアプローチとアクセシビリティの違いは,ここで重要になる.普遍主義に反して,アクセシビリティは絶え間ない適応のプロセスを必要とする.それは,異なるプレイヤーが完全にゲームに参加するために必要とする支援が異なることを認めるものである.
[3.7] 多くの既存のアクセシビリティ研究は,人間とコンピュータの相互作用 (Spiel他 2020) やデジタルゲーム (Cairns他 2019; Hassan 2024) などの分野に焦点を当てているが,インクルーシブデザインとアクセスの原則は,非デジタルなゲーム空間の議論にも及ぶ.したがって,アナログRPGにおけるアクセシビリティのもう一つの重要な側面は,プレイデバイスの媒介から生じる.私たちがプレイを促進するために使用するツールや素材――サイコロ,キャラクターシート,ルールブック,さらには椅子や机――は,アクセシビリティを高めるか妨げるかのいずれかの役割を果たす.
[3.8] この媒介は,点字のサイコロや大きな文字のキャラクターシートを提供するといった物理的な適応だけにとどまらない.これらは重要であるものの,ゲームそのものの構造をどのように適応させることで,さまざまなプレイヤーが参加できるようにするかを考慮することも含まれる.例えば,ルールが柔軟であり,異なる参加方法を許容できるようにすることは可能であろうか.
[3.9] 人々がゲームをプレイしたいかどうかという問いは,これらのゲームの中で自分自身がどのように反映されているかという問題にも関わる.つまり,「表象」(representation)である.この表象はアートだけに限定されるものではなく,ゲーム全体に及ぶ.この点において,障害を医療モデルで捉えることと,「ポイントベースの障害」というルールの「不健全な」連携を観察することができる.例えば,エルサ S. ヘンリ(スジュンネソン)が指摘するように (Henry 2015),『ワールド・オブ・ダークネス』シリーズのゲーム (cf. Rein·Hagen 1991, 2000; アキリ・ブリジェス 2005) では,障害を「欠陥」として扱い,その多くにポイント値が割り当てられ,これを「ポジティブな」特性と交換できる仕組みがある.マイケル ストークス (Stokes 2017) やシェリー ジョーンズ (Jones 2018) による分析が『ダンジョンズ & ドラゴンズ』第5版 (クロフォード他 2022) でも同様であるを批判している.このようなシステムは,個々人の生活やアイデンティティの複雑さを抹消し,障害を(ネガティブな)機械的な障害とみなすだけで,キャラクターの経験の不可欠な部分とは見なさない.これらは時にゲームデザイナーがプレイヤーのニーズを無視し,障害を克服すべき否定的な特性として描くシステムを作り出していることを示している.したがって,アクセスの問題は,歓迎され,参加を許可されると感じることにも深く関連している (Minich 2016).障害を持つプレイヤーは,特定のゲームイベントだけでなく,ゲームコミュニティ全体で歓迎され,尊重されていると感じるべきである.障害を「機械的な欠陥」として扱うことに対する批判は,ゲーム内で障害を持つキャラクターをより思慮深く表現する必要性を強調している.包括的なデザインは,障害を持つプレイヤー2の経験が周縁化されるのではなく,正規化されるか,慎重に表現されるような遊びの文化へと拡張されるべきである (Henry 2015).物語は多様な声や視点を含む形で構築されるべきだろうか.最低限,TRPGは,障害を持つキャラクターの強みや貢献を強調する物語作りのメカニズムを提供すべきであり,それらを負担や障害として描くことを避けるべきである (Grammenos他 2009).表象はアクセシビリティの一部として考慮されるべきであり,障害を持つ人々にとって歓迎され,尊重されたアクセスを提供するものでなければならない.
[3.10] アクセシビリティをアクセスに結びつけ,「私たちのことを私たち抜きで決めないで」(Nothing About Us Without Us)というスローガン (Williams and Gilbert 2019) をゲームデザインに適用することで,参加型で包括的なデザインの枠組みが導かれる.これは,ゲームをアクセス可能にしたいと考える人々が,ゲームデザインに直接関与し,彼らの視点が考慮されるべきであることを意味する.例えば,ミキシング・デスク (Mixing Desk, Stenros・Andresen・Nielsen 2016) は,LARPの基本的な特性を記述し,分析やデザインに用いられるツールであり,プレイヤーの多様な視点やニーズを考慮するフェーダーを追加することで,ゲームがアクセスやアクセシビリティに関して何を提供するかを評価するために利用できる.この点において,ビョーン ブッツェン(マリエンハウス)のエッセイ「LARPにおけるインクルージョン:挑戦と限界の狭間で」(『リミナルな出会い:北欧および北欧にインスパイアされたLARPにおける進化する言説(Liminal Encounters: Evolving Discourse in Nordic and Nordic-inspired Larp)』に初出) (Kangas・Arjoranta・Kevätkoski 2024) が,形式的なインクルージョンを超えて構造的にアクセス可能なゲーム環境を構築することに焦点を当てている本発刊の趣旨のテーマと共鳴している.彼は,LARPにおける包括性の複雑さについて論じ,アクセシビリティは物理的な適応を超えて,自律性と十分な情報に基づく選択を尊重する必要があることを述べているブッツェンのエッセイを引き継ぎ,本特集号の他の記事も,基本的な配慮を超えて,アクセスと参加の多様な障壁に取り組むことで,アクセス可能で包括的なアナログゲーム空間を創造することに焦点を当てている.
[4.1] 本特集号の投稿募集では,前述の課題や関連する質問に取り組む寄稿を求めた.たとえば,TRPGやLARPを文化的に敏感で包括的に設計する方法,イベントをすべてのプレイヤーにとって身体的にアクセス可能にするための戦略,より多様で包括的な世界を反映するゲームナラティブやキャラクターを作成する方法,アナログゲームにおいてアクセシビリティを向上させるための技術の役割,そしてより包括的なゲーム文化を作るためのコミュニティ主導の取り組みがどのように貢献できるかなどである.
[4.2] 投稿者たちはこれらの質問に対する回答を提供するとともに,新たな疑問を提示した.今年の特集号には,大きく4つのカテゴリに分類される記事が収録されている.それは,(1) アクセシビリティのベストプラクティス,(2) デザイン理論,(3) ゲームを用いた学び,(4) ゲーム分析である.
[4.3] 本号の第2エッセイ,ピーター ユング(ビヘイビア・ブリッジ)による「TRPGにおけるアクセシビリティとしての自閉者の社会的アドボカシー」は,TRPGが自閉者にとって,神経定型の規範を押し付けるのではなく,アドボカシーに焦点を当てたアクセシビリティを育む社会的媒体として機能することを論じている.これは,身体的障害を超えた包括的デザインへの視点を反映しており,自閉症者が互いを認識し支援できる空間を提唱するものである.
[4.4] 第3の論文もまた,多様なプレイヤーのニーズを支援する空間の創出に関するものであり,特に教育および療育の場面に焦点を当てている.木下 豪(横浜国立大学)と丹治 敬之(筑波大学)の事例報告「放課後等デイサービスにおけるTRPGの活用可能性:職員のインタビュー調査による検討」は,日本の放課後デイサービスにおいて,TRPGが発達障害を持つ子どもたちのコミュニケーションを向上させる方法を示しており,構造化された環境における支援ツールとしてのTRPGの可能性を示している.
[4.5] 若いプレイヤーに対する構造的文化的バイアスに挑戦し,遊びに対するより反省的なアプローチを促進するために,マリアン カリナン(レスリー大学とグレート・ブルック・スクール)は,彼女の教育資料「インディアナ・ジョーンズの脱プログラム化:子供たちとの反植民地主義的なDMのあり方」を通じて,TRPGが共感と反植民地主義的な物語を中心とする教育的な設定を提唱している.
[4.6] ベストプラクティスからデザイン理論へと移る第5の記事では,すべてのプレイヤーが完全に参加できるようにする適応的な構造を通じて多様なアクセスニーズに応える方法を検討している.ベアトリクス リヴジー=スティーヴンス(オバータイ大学)は,理論論文「クリップ・セオリーを通じたキャリブレーション枠組みの再考」を発表し,障害学やクリティカル障害学から派生したクリップ理論を活用して,TRPGプレイヤーのアクセシビリティを確保するためのキャリブレーションツールの役割を強調している.特に,「クリップタイム」として知られる柔軟なプレイペースに注目している.
[4.7] また,イリアス ツィアラスとバシレイオス ネオフォティストス(マケドニア大学)は,「教育者のテーブルトークRPGへの理解が成人教育におけるLARPの導入に与える影響」で,成人教育者がTRPGに精通していることが教育LARPを教育ツールとして前向きに捉えることに関連していることを示している.彼らの教育的アプローチと調査結果は,体験型ロールプレイングメソッドが成人教育におけるアクセシビリティのギャップを埋める方法に焦点を当てている.
[4.8] 今年の焦点であるアクセシビリティをテーマに,TRPGが教育者に向けた共感と包括性の意識を育むツールとして活用される可能性に注目したピーター クラインズ(福井大学)は,彼の研究「ロールプレイングゲーム『サイン』を用いた聴覚障害者への共感を高めるためのケーススタディ」で,このゲームが教育者の間で聴覚障害者への共感を高める方法を探求している.
[4.9] 特集号の最後を飾るのは,ジャン=シャルル レイ,ロクサンヌ シャルトランとケフセル ギュンゴル(モントリオール大学)による「静寂を楽しむ:『アリス・イズ・ミッシング』におけるプレイヤー体験と感情的アクセシビリティをめぐる議論」である.この対話的な記事は,静かなプレイとプレイヤーの安全性,親密性を育むことで,感情的なアクセシビリティを強化するこのゲームを分析している.
[4.10] 今年の『RPG学研究』のリリースには,アクセスやアクセシビリティのテーマに特化していないものの,多様なプレイヤーニーズへの対応に関する課題に触れるローリング投稿も含まれている.藤林啓一郎の論文「よいロールプレイを促進する経験点ルールの仕組み : 『忍術バトルRPG シノビガミ』の「琴線に触れた」功績点の考察」は,『シノビガミ』の功績点システムがキャラクターとしてのロールプレイをどのように促進し,プレイヤーをゲームに結び付けるかを調査している.
[5.1] この発刊の趣旨の締めくくりとして,アナログRPGにおけるアクセスとアクセシビリティに関する議論は,終わりを迎えるどころか,さらに深化していく必要があるという結論に至る.本特集号は,最終的な解答を提供するものではなく,さらなる探求への出発点として位置づけられている.読者が本特集号の記事を単なる知識の受け手としてではなく,アクセスについての進行中の議論の積極的な参加者として関与することを期待している.
[5.2] アクセスを探求する中で,私たちは幅広くインターセクショナルなビジョンを掲げ,正義に向けた歴史的・社会的進展を包含するテーマへの貢献を歓迎してきた.しかし,さまざまな側面――社会的,文化的,技術的なもの――を統一的な視点で結びつける空間を開こうとする中で,受け取った投稿は特定の要素に焦点を当てたものが多かった.この具体性は,アクセスを包括的に論じることの困難さを浮き彫りにしている.
[5.3] 編集プロセスを通じて,アクセスの範囲を広げようとする努力は,しばしば普遍主義的な枠組みを提示する結果となり,多様な経験を均質化するリスクを孕むというパターンに直面した.多様な側面を一つの用語に収めようとする試みは,特定のコミュニティ――例えば,障害,人種,ジェンダーに関する――の固有の闘争や成果を見落としがちである.これらの次元のそれぞれは,独自の歴史と擁護者を持ち,焦点を当てるべき具体的なニーズを有している.
[5.4] この認識は,アクセスとアクセシビリティを統一された動的かつ文脈に応じた課題として検討するという,私たちの編集的な取り組みに深く共鳴する.私たちはアクセスを単一の普遍的に適用可能な枠組みに凝縮しようとするのではなく,グローバルな文脈における経験の多様性を尊重するための継続的な対話を呼びかけるものである.本特集号は,アクセスとアクセシビリティに関する議論の進展を示すとともに,その多様な声と歴史を尊重する必要性を思い出させる存在である.私たちは,広範なゲームおよび研究コミュニティとともにこの議論を継続することを楽しみにしている.ともに,すべての人がアナログRPGの豊かで多様な世界に関与する機会を持てる未来を目指していきたい.
[6.1] JARPSは,アクセスとアクセシビリティを扱う投稿を引き続き歓迎しているが,今後の特集号のテーマは,非デジタルなロールプレイングゲームの研究と実践における他の分野に焦点を当てる予定である.来年のテーマは,アナログRPGのための小道具,技術,テクノロジーとなり,サイコロシステム,ハイブリッドプレイ,デジタルツールの活用などが取り上げられる.したがって,著者がインクルーシブデザインやツールに関する質問を引き続き取り上げることを奨励する.
[6.2] また,TRPGやLARPを教育的または療育的な文脈で適用することを検討している場合,その経験を「事例報告」として共有することをお勧めする.このような投稿は,実践的な応用に関する貴重な洞察を提供し,これらのゲームがさまざまな場面やプレイヤーにどのような可能性を持つかについての理解を深める.さらに,ロールプレイングゲームに関する影響力のある書籍に出会った場合は,「書評」を提出し,TRPGやLARPに関する対話を豊かにすることも歓迎する.
[6.3] 没入感(immersion),感情移入(bleed),合意形成(calibration)などの核心概念に関する理論的探求や,プレイヤーがゲームメカニクスとどのように相互作用するか,特定のジャンルがこの分野にどのような影響を与えたか,あるいは主催者が透明性や今年のテーマであるアクセスとアクセシビリティの課題にどのように対応しているかを調査するオリジナルな研究論文も歓迎する.これらの寄稿は,新しい視点やデータに基づく洞察を提供することで,この分野の発展に寄与する.
[6.4] また,査読者として参加したい場合は,3 ぜひご連絡いただきたい.私たちは常に,関心を持つ研究者や実務者のネットワークを拡大することを歓迎している.
[6.5] 特集号およびゲスト編集号はどちらも,教育的応用,プレイヤーとキャラクターの関係,あるいはプレイにおける身体性といった,ロールプレイングゲームに関連する研究と実践の現在の側面をそれぞれ取り扱っている.潜在的なゲスト編集者は,通常の投稿システムを通じて特集号の提案を提出するよう求められている.
[6.6] 2023年以降,JARPSはロール式投稿も受け付けている.特定の号のテーマに合致しない投稿や,論文募集の期間外に提出された投稿も歓迎する.査読後,そのような投稿は後の号に掲載される.
[6.7] 著者や読者の皆様とともに,非デジタルロールプレイングゲームの豊かな分野を引き続き探求できることを楽しみにしている.
[7.1] 毎年『RPG学研究』のシンポジウムをサポートし,マイケル フロイデンタールが本号の執筆に時間を割くことを可能にしてくれたGame in Lab4 に感謝する.本稿とビョーン ブツェンのエッサイの和訳サポートしてくれた体験型LARP普及団体CLOSSの諸石 敏寛に謝意を表する.また,障害研究の中心的な考察に照らして編集をチェックしてくれたベアトリクス リヴジー=スティーヴンスにも感謝する.すべての間違いは私たち編集者自身の責任である.
エルサ スジュンネソンは,『FATE アクセシビリティ・ツールキット(FATE Accessibility Toolkit)』のリードデザイナーであり (Sjunneson 2019),また『Analog Game Studies』誌に「ロールプレイングゲームにおける障害の再想像(Reimagining Disability in Role-Playing Games)」という記事をエルサ S. ヘンリ名義で発表している.この記事は以下に引用されている.さらに,スジュンネソン・ヘンリ(Sjunneson-Henry)というダブルネームを使用している場合もある.本稿では,出版物に付けている氏名に基づき,ツールキットに関してはSjunneson,記事についてはHenry名義を使用している.↩︎
ダンとアンドルーズ (Dunn・Andrews 2015) に基づき,本編集記事では「障害のある人」(person with a disability)という人称優先の表現と,「障害者」(disabled person)というアイデンティティ優先の表現を交互に使用している(Best他 2022も参照).例えば,英語圏の自閉症者の間では,「自閉者」(autistic)という表現が好まれる.これは,自閉症が彼ら自身から切り離せないものであることを表現したいためである (Bottema-Beutel et al. 2021).一方で,障害に還元されるべきではないことを強調するために「障害のある人」という表現を好む人もいる.本稿では,言語が重要であること,またそれが個人的な体験・視点であることを強調するため,両方の表現を使用し,それぞれが異なる経験や状況を反映することを意図している.↩︎
このWebサイトでのアカウント作成プロセス中に,査読者として登録することを選択できる.また,編集委員に専門分野について連絡することもできる.↩︎
Game in Lab: https://www.game-in-lab.org/(2024年10月1日日取得).↩︎