Kondō, Kōshi. 2023. "History of Gamebooks in Japan." Japanese Journal of Analog Role-Playing Game Studies, 4: 5e-13e.
引用方法:近藤 功司. 2023.「日本におけるゲームブック史」『RPG学研究』4号: 5j-13j.
DOI: 10.14989/jarps_4_05j[0.1] 80年代から90年代にかけて日本で流行したゲームブックについてのエッセイである.読者が物語の結末を決定する選択をするという概念に革命を起こした『火吹山の魔法使い』(ジャクソン&リビングストン,1982,日本語版1984)がどのようにジャンルを確立したかを論じる.また,ゲームブックがカバーしてきた様々なジャンル,日本における「ゲームブック」という用語の定着,このインタラクティブな物語形式の文化的意義にも触れている.専門誌「ウォーロック」の創刊や,ゲームブックブーム後のテーブルトークRPGへの移行など、日本におけるゲームブックの盛衰にも考察している.
[0.2] キーワード:ゲームブック,日本,歴史
[0.3] This invited paper provides a detailed essay on the history of gamebooks in Japan from the 1980s to the 1990s. It discusses the impact of the gamebook The Warlock of Firetop Mountain (Jackson & Livingstone, 1982) and how it revolutionized the concept of readers making choices that determine the outcome of the story. The essay also touches on the various genres that gamebooks have covered, the establishment of the term “gamebook” in Japan, and the cultural significance of this interactive form of storytelling. It mentions the rise and fall of the gamebook trend in Japan, including the publication of a dedicated magazine “Warlock” and the shift of focus to tabletop RPGs post the gamebook boom.
[0.4] Keywords: gamebooks, Japan, history
[1.1] 80年代から90年代にかけて大きなブームを起こしたゲームブック.パラグラフ選択方式で書かれ,判定用のルールを持ち,主人公がいてその活躍を描く手法は,その後,ゲームブックというジャンルを超えて受け入れられている.かつての名作が復刻出版され話題を呼んでいる中,なぜゲームブックが80年代に興隆し,今,ふたたび話題になっているのかを,オーラルヒストリーを交え,エッセイ的に考えてみたいと思う.
[2.1] 日本おけるゲームブックの歴史を振り返るとき,『火吹山の魔法使い』(ジャクソン・リビングストン 1984) から語り始めることについて,大きな異論はないだろう.それほど,この本はよく売れたし,誰もが知っており,内容も画期的なものであった.
[2.2] 読者を主人公として,ゲームは始まる.
[2.3] 開始に先立って,読者は自身の身代わりとなって冒険を進める主人公を作り出し,ゲーム上の性能を決定する.それらは点数で表わされ,決定にはサイコロを使い,点数は本に添付されている別紙に記入され,あらかたの準備が終わる.
[2.4] ゲームは,本を読み進めることで進んでいく.が,しかし,この本は一般的な本と違って,1ページから順に読み進めるわけではない.主人公が置かれた状況がまず説明され,続くページで,読者は主人公の行動を「選択肢」の中から選ぶことで,独自の道を進んでいく.生還か死か,栄冠か屈辱か,財宝か罠か,主人公の運命は,読者の選択次第というわけである.
[2.5] 選択を選んだ先にある新しい状況は,どうやって提示されるのだろう.それにはパラグラフ選択方式という仕組みが使われる.
[2.6] 最初の状況が「1」(というパラグラフ)に書かれる.火吹山という危険な舞台に一獲千金を夢見てやってきた手練れの冒険者である君が,モンスターがうごめき,数々の罠が仕掛けられているダンジョン(地下迷宮)に進入していく.トンネルが次第に地下へ続き,道はやがて左右に分かれる.右へすすむか,それとも左か.
[2.7] 右へ進むなら・・・…2へ
左へ進むなら・・・…3へ
決断をした読者は,右へ進むなら2番,左へ進むなら3番を選択してページをめくり,その先のページでそれぞれの番号に示された文章を読んでゲームをさらに進める.たとえば・・・
[2.8] 2 道は行き止まりとなり,君は元の分かれ道までもどる.どうやら左へ行くしかないようだ.3へ進め.
[2.9] 「いったんここで休むなら4へ」などという選択肢が加わることもあり,3では,さらなる選択肢が示される.
[2.10] 説明のために,簡単なパラグラフナンバーを使って進行の例を挙げたが,本は,大きなものになるとパラグラフ数が1000に達することもあり,パラグラフの順番もランダムに印刷される.冒険の途中で得た情報や展開によって,読者は,謎かけやパズルを解いて,次に進むパラグラフを計算したり見つけ出さなくてはならない場合もある.答を間違った場合,主人公は,正しいエンディングを迎えることができない.
[2.11] 冒険の途中では,邪悪なモンスターやダンジョンの主である魔法使いとの戦闘が発生する.それには,解決のための戦闘ルールを読む必要がある.サイコロと鉛筆を使って,主人公はモンスターなどと数値を比べあい,ルールに従って,攻撃・防御の成功,生命点の消失などを決定する.つまりゲームである.モンスターを倒せば,強力な武具や呪文,宝石などを得ることができる場合もあり,それらを,シートに記録して冒険は先へ進む.
[2.12] こうした構成は,いまではゲーム制作の一般的なテクニックとなったので,本項を書いている2023年に,この説明が読者諸兄に必要なのかどうか,多少の不安を覚えるのだが,『火吹山の魔法使い』は,重要な点としては,そんな感じの技法で書かれていた.
[2.13] 本書がとてもよく売れたこともあり,『火吹山の魔法使い』に相前後して,こうしたタイプの書籍が一斉に出版された.ジャンルも多岐にわたり,ファンタジーだけではなく,アイドル活動への挑戦,サスペンス,スリラー,恋愛もの,スポーツ,アニメーション番組を原作に持つもの.およそ考えられるシチュエーションが,パラグラフ選択式ゲームブックという形で読者に上梓された.
[2.14] さらには,ゲームルールなどをカットし,イラストレーションを大胆に使って,選択肢だけで読者を楽しませようとする本も登場した.この場合,ゲームブックというよりは,読者が展開を選択できるエンディングが複数あるコミックスといった感じになる.(★マルチエンディングとかパラレルストーリーというかんじ)
[3.1] ゲームブックが日本に現れたちょうどその頃,個人的な話ではあるけれど,シミュレーションゲームの紹介と研究を目的に出版されていた雑誌『シミュレーター』(翔企画)の編集室に筆者はいた.1 雑誌の編集室では,いつもたくさんの雑談が交わされるが,別の企画の打合せの合間に,最近出てきたこれらの本がとても面白いこと,日本で出版されているものは今のところ全部買ってコレクションしてることを,当時の編集長,鈴木銀一郎に話したところ, 「君,それは面白いね,記事に出来る?」と話がまとまってしまい,類書をまとめて紹介することになったのが,自分史におけるゲームブックの始まりであった.
[3.2] 「ゲームブック」という言葉が先にあって,それに申し合わせて各社がシリーズを作ったわけではないので(と,書いておいて,もしそうであったら申し訳ないと気づく程度の話なのだが),書評子の常として,集めた本を何らかのキーワードでくくる必要があり,そのときに自分が選択した言葉が「ゲームブック」であった.その後,英語圏でもgame bookという言われ方をすることに気づいたので,おそらくジャンル名としてゲームブックを選んだのは,正しいセンスだったのだと思う.
[3.3] ゲームブックは,その特異なスタイル(読み方)のため,出版する各社も刊行作品にシリーズ名をよく付けた.アドベンチャーブック,シミュレーションブック,きみならどうするシリーズのような,いわゆるシリーズタイトルである.これによって,読者に本の読み方が共通であることを示唆したり,ファンの結集を促す効果があるのだろう.前述の『火吹山の魔法使い』は,本家イギリス版ではファイティング・ファンタジー・シリーズ.その社会思想社版は,それを含むゲームブックのシリーズ名をアドベンチャー・ゲームブックにしたのだと思うが,オリジナルの『火吹山の魔法使い』そのものの表紙にはゲームブックと書かれていたのではなかろうか.
[3.4] 商品名と分野名を峻別した上で,必要があれば新しい分野名を付けることは,文化の発展にとって大切だ.ゲームブックというジャンル名が定着したのは素晴らしいことであると同時に,ゲームブックという「概念」が,多くの者に期待されて存在したことを意味している.若く新しい分野では,時折,出版社がジャンル名を自社の商標のように解釈したがる場合があり,ときに法的に登録して文化の発展を混乱させる場合がある.これについても興味深い多くの論点があるのだが,本稿とは趣旨が異なるので別の記事に譲りたい.
[3.5] ともあれ,ここで指摘しておくべきことは,ゲームブックという言葉が分野名,一般名称として定着することによって,読者は,一体となってその価値を共有し,議論し,嘆き,期待する基盤が出来たということである.受け手が単なる受け手にとどまることなく,自ら判断し行動する「ゲーム」という分野にあって,自分が愛するジャンル名があることは,全員にとって大きな意味を持っていた.
[4.1] ところで,「1985年はアドベンチャーブック元年」(続けて「私観ゲームブック論」として連載)と題されたこの記事は(近藤 1985a),ささやかなものながらも,よく読まれ,ブーム時によくある話なのだが,いろいろな問合せが届くようになった.こうした形式の本を研究している人が少なかったためであろう,書評やエッセイなどを書かせていただけることが増えていった(近藤 1985b).
[4.2] そんななかに,『火吹山の魔法使い』を出版した社会思想社からの手紙が混じっていた.
[4.3] 聞けば,同作の成功を受けて,同社ではシリーズ全体を盛り上げる雑誌を出版する計画だという.そして,その中にどういう記事があればいいのか,いろいろ提案してほしいとの依頼であった.
[4.4] 本家イギリスのサポート雑誌から名を頂いた『ウォーロック』(日本語版)という名前のこの雑誌は,2 SF翻訳家であり,海外のSFゲームの紹介で実績のあった安田均を監修にすえ,編集長にシミュレーションゲーム研究の世界で名高い大学サークル「慶応HQ」のエース多摩豊を迎えて出発した(既に多摩はOB).そして,1992年に休刊となるまで63号が出版されたが,編集部は常勤の社員を持たず,同社の担当編集者1名が,外注形式で編集を多摩に依頼し,筆者を含めた4名が,月例でオフラインの編集会議を東京で開催し,その方針に従って,今でいうオンライン編集のような形式で制作された(インターネットなどはなかった).
[4.5] ゲームブックを扱うメディアは,当時ほかに,東京創元社が出版するゲームブックに挟む小冊子『アドベンチャラーズ・イン』(1986年から20号継続,B4八ツ折) 等があり,同様な形で社会思想社が『ゲームブック・マガジン』(1986)を発行していたが,独立して購入できる大部の物ではなく(と書いておいて申し訳ないが100円で通信販売だったかも.前後して富士見書房からは『ドラゴン通信』が登場 (198?),定期刊行物という集える場所ができたゲームブックのファンは『ウォーロック』の登場を歓迎し,さまざまな意見を寄せるようになった.
[4.6] ところが好事魔多しというべきか,日本版『ウォーロック』のスタートとほぼ同時に,本家英国のウォーロック誌が休刊するという事件があり,日本語版編集部は,当初の思惑を超えて,よりオリジナリティの高い活動を要求されることになる.現在のように通信が容易な時代であったなら,すぐに日本版『ウォーロック』は英国の経営方針と連動してその方針を新しい方向に変更するべく交渉したのかもしれないが,そういうことは起きなかった.たとえば,『ウォーロック』には,毎号,中編のゲームブックが付く思惑だったが,この枠が日本人作家に開放されたことなどは,指摘されてもよいかもしれない.
[4.7] 『火吹き山の魔法使い』を含むファイティングファンタジーシリーズの刊行とほぼ同時期に,東京創元社がソーサリーシリーズでスティーブ・ジャクソンのゲームブックを翻訳出版し(ジャクソン 1985),ブームは最高潮となる.
[4.8] 海外作品の翻訳出版では,雑誌『ドラゴンマガジン』を創刊し,ファンタジーとゲームの融合を図る富士見書房 (1988),海外シミュレーションゲームの翻訳出版で実績のあったホビージャパンが参入.日本人作家による独自の作品も増え始め,書店にゲームブックのコーナーが設けられた.
[4.9] 日本人作家の作品としては,もっとも先発の高橋昌也による『出発!スターへの道』(1984),『ドルアーガの搭』のゲームブック化でデビューし,国産ゲームの登場を印象付けた鈴木直人 (1986; 2016),日本を舞台にしたストーリーのなかに読者への問いかけをちりばめた思緒雄二の『送り雛は瑠璃色の』(1990; 2004),テーブルトークRPG的な世界観からの設定を得意とする職人山本弘,いまなおパズル作家として活躍する奥谷晴彦/フーゴハルらの作家陣のほか,スタジオハード,レッカ社などプロダクション単位でゲームブックを製作する会社も数多く現れた.
[4.10] 東京創元社をはじめとするいくつかの出版社がコンテストを開催したこともあり,新しい才能がゲームブックを作り始める.その一方で,ミステリや脚本などを手掛けていた異業種の作家による高度な作品も登場する.
[4.11] 定点観測的な資料としては,『ウォーロック』が,毎年出版されたゲームブックを独自にリストアップしたリストがある.それによれば,1986年の新規刊行点数が約200冊.しかし,このブームは長く続かず,次第に書店でゲームブックのコーナーを見かけることも少なくなっていった(1990年には30冊).
[4.12] ウォーロック誌は,取り扱う題材をテーブルトークRPGに移し生存を図る.それは奇しくも,本家イギリスで『火吹山の魔法使い』が企画された道を逆に戻る作業だったのだが,ゲームブックファンからの批判も多かった.
[5.1] ブームの終了以降の,日本におけるゲームブックの歴史を,ここからどう書き進めるかは,ゲームブックそのものの定義によって変わらざるをえない.
[5.2] 先ほど説明した要素.つまりは,1.パラグラフ選択方式の構造をもち,2.主人公があり,読者の判断に従って異なるストーリーを描き出すもの.3.ルールという(多くは)シミュレーションゲーム由来の判定装置を持っていて,結果は乱数とプレイヤーの判断によって変わってくるもの.一応,こういう基準で判断することにして,それを継承した作品が,その後いつどのように出版されたかという歴史を,まずは追うことができるだろう.
[5.3] ゲームルールをほぼ持たず,ストーリーの行方を楽しく見守るだけというゲームブック(3b)を加えるならば,その範囲はさらに広がる.また,そもそもパラグラフ選択すら持たず,独自の方法,例えば地図から次の行動地点を選ぶもの(1b)などを,どこまでゲームブックと呼んでいいのかという問題も起きる.
[5.4] パズルやクイズ,なぞなぞを集めた書籍は以前から存在したが,これらも,見せ方という点では,ゲームブックの登場に影響を受け,さらに高度になって出版されるようになる.それをゲームブックの範疇に入れるかどうか.定義ひとつで,これまでの読者が共有してきたゲームブックという空間の信頼が失われ,しかし厳密に絞り込めば,創造的な新作が除外されてしまう.どちらがよいだろうか.
[5.5] あらゆる成熟したジャンルにおいて,しばしば起きる問題が,そこにはある.
[5.6] ここでは,いったん厳密な定義にしたがって,時系列を追ってみよう.
[5.7] 商業的に十分な成功が得られないと判断した出版社が撤退した一方,しばらくの時をおいて,いくつかの出版社がかつての名作を復刊する
[5.8] まずは,2001年ごろから創土社による国内作品の復刻が始まる.これはゲームブックファンには嬉しい情報だった.同社の活動は意欲的なもので,鈴木直人の新作『チョコレートナイト』のリリースを皮きりに(2001),内外名作の権利を集め,新しい作家を募集するコンテストも開始した.同社の熱意がなければ,ゲームブックへの,現在の再注目はなかったかもしれない.
[5.9] 2015年には,扶桑社によるファイティングファンタジー2作品の復刻があった.この挑戦は大きな反響を呼んだとは言いにくいが,同社は限定的な規模のユーザーに向けての出版にノウハウがあった.同シリーズは現在,ソフトバンク・クリエィティブが出版を手掛けているが,キックスターターなどのクラウドファウンディングが一般的になっている今日,往年のファンに向けて装丁を強化し,あえて受注生産方式を採用している点は,扶桑社の挑戦から得た知見が大きいのかもしれない.
[5.10] ホビージャパンによるライトノベル風のイラストでの復刻も忘れ難い事件である.同社は,対戦型のゲームブックである『ロストワールド』シリーズを復刻する際に (レオナルディ 1985; Nova Game Designs 1985),大胆にもライトノベル風のイラストに変更し (著者不明 2005),新しいファンを獲得した.この変更は商業的には成功し,ゲームブックの名作のいくつかが,同様のローカライズを受けて出版され,おおいに物議をかもした.
[5.11] これらの試みは,かつてのような大きな反響には届かなかったが,ゲームブックファンをおおいに勇気づけた.
[5.12] それを受けて,新しい作家が,その活躍の場を電子書籍や,同人誌流通,インターネット販売に見出しはじめる.
[5.13] ファイティングファンタジーやトンネルズ&トロールズのファンらが結集して活動中のFT書房によるクトゥルフ神話もののゲームブックアンソロジーは (杉本 2022),いまやどこのゲーム販売会でも見られる定番商品だ.
[5.14] おいしいたにしによる『青の匣』『寄生木の夜』(2014; 2015; 2016).波刀風賢治のAmazon kindleの特性を活かしたゲームブック『護国記』などが印象深い作品となっている(2018).
[5.15] また,書店流通ではない出版という形では,100円均一のショップであるダイソーの棚にゲームブック (藤浪 2023) が登場したことも話題となった.作者は『進撃の巨人』『七つの大罪』など著名なコミック作品のゲームブック化を講談社で手掛けたベテラン藤浪智之である(藤浪 2015; 藤浪・諫山 2016).角川つばさ文庫のジュブナイル・ゲームブックも彼の手によるもので,その手腕は手堅い(藤浪 2010).
[5.16] ゲームブックというジャンルの再興をミッションとして,最新の動向をひとまとめに提供するサイトも登場し,Noteなどのブログでは,3 ノスタルジーを超えた優れたゲームブック論が日々展開されている(例えば, 代々木 n.D.).
[5.17] また,幻想迷宮書店(酒井武之,元創土社)による『絶対読みたいゲームブック40選』(2015)には,外城わたるが圧巻のゲームブック史をまとめていて,日本のゲームブック史を振り返る上で必読だろう.
[6.1] パラグラフ選択式でゲームを進めていくアイデアは,コンピュータプログラムにおける構造化プログラミングにヒントを得たものではないかという仮説が考えられる.
[6.2] コンピュータの機能は,大きくデータの保存,入出力,演算であるが,初期のコンピュータは,特定の算法とデータを,コンピュータにハードウェア的に実装したものであった. どこにでもある電卓を考えてみよう.電卓にはキーが付いており,データが入力できる.たとえば5という数字(データ)を入力する.そのあと+を入力すると,電卓というコンピュータは,先ほどの5に対して,次に入力される数字(たとえば3)を「足す」算法(プログラム)を準備する.算法は+キーというハードウェアに固定的に実装されていて,使用者は書き換えることはできない.
[6.3] 同じように,5とか3という入力すらも,ハードウェアに実装されているコンピュータを考えることができる.5+3という簡単な式を,わざわざハードウェアを作って計算させる者はいないと思うが,より複雑な場合であればどうだろう.初期のコンピュータは,特定のアルゴリズムとデータをハードウェア的に実装する形で製作され,計算の実用に供された.
[6.4] 電卓の例であれば,算法は固定だが,演算の対象となる数字は,キーボードから随時打ち込まれて一時的なメモリに記憶される.それでは同じように,演算の手続も,一時的なメモリにおかれてもよいのではないか.演算操作の対象となるデータと同じように,算法そのものもメモリに置くよう設計すれば,コンピュータの可能性は拡大するのではないか.そのアイデアを実現するためには,入出力装置,記憶装置とのやりとりを含めて算法そのものをプログラムという形で表現する必要があった.
[6.5] こうしたコンピュータは起動と同時に一定の手続で立ち上がり,メモリにおかれた最初のプログラムを作動させる必要がある.最初のプログラムが動作したら,次のプログラムを呼び出し,これを繰り返して巨大で複雑な処理を柔軟に行うことができる.コンピュータの動作は,あらかじめ定義されたブートストラッププログラムからスタートし,さまざまな条件分岐を経て,最後に停止するか,無限のループで終わる.この手順は,最初,ハードウェアで実装されたが,続いてそれを模した機械語をへて,最後に,人間が理解しやすい形式で書かれた高級言語に発展した.そこでは,プログラムのスタート,エンド,途中で行うデータ処理,条件分岐,参照するべき定数,必要に応じて呼び出される外部プログラムなどが記述される.
[6.6] コンピュータの処理は順次手続き的に行われるので,このタイプのプログラムを書く言語を手続型言語といい,その制御方法を構造型プログラミングという.手続き処理を視覚的に表示したフローチャートは誰でも目にしたことがあるだろうが,それがコンピュータの登場以前に,誰にとっても一般的な感覚であったのかは,きちんとした検討を要すると思う.
[6.7] ともあれ,1953年に構造型プログラミングが発明され,それから数十年でパラグラフ選択式ゲームブックが興隆したことは偶然とは思えない.
[6.8] パラグラフ選択式ゲームブックには,始まりがあり,いくつかのエンドがある.ときにはループもあり,プレイヤーは,いろいろな処理を行ってゲームの状態を変えていく.
[6.9] 日本において個人がプログラムをすることが一般的となったのは,ゲームブックブームの頃である.これは偶然だろうか.
[6.10] 本家イギリスで『ファイティング・ファンタジー』が売りこもうとしたのは,TRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の楽しさだったが(ガイギャックス・アーネソン 1974; 大貫・ORG 1985),それによく似たゲームがファミリーコンピュータで登場したのが1986年の『ドラゴンクエスト』(スクエア, 中村, 千田, 堀井 1986)であった.1990年にはスーパーファミコンが発売され,家庭で手軽に入手できるゲーム機に,限定的だが漢字表現が実装される.ゲームブックの優位性は急速に失われた.
[7.1] あまり指摘する人がいないのだが,ゲームブックは大抵の場合,無線綴じで製本される.接着剤で背を固めた無線綴じが,ゲームブックでの利用に向いていることはいうまでもないが,激しいページめくりに耐えて背割れを起こさない接着剤が開発されたのは70年代以降ではないかと思われる.糸かがりの本でゲームブックブームが起きたかどうか.中綴じで1000パラグラフのゲームブックが作れるのかどうか.研究価値があるテーマだと思う.日本でゲームブックが起きた80年代,日本のペーパーバックの製本品質は群を抜いていた.
[7.2] また,80年代にはパーソナルコンピュータの普及が始まり,筆者の周辺では,ゲームブックを書く,編集する,デバッグするにあたって,PCでの作業が急速に一般化した.
[7.3] 筆者が日本語版『ウォーロック』が編集に携わっていた時点では,フローチャートは手書き,本文がMS-DOSかワードプロセッサーのテキストファイルとでの納品が普通であったが,パラグラフの入れ替えや調整を含めてすべてを手書きで納品してくる作家がいたら大変な手間であったことだろう.小説などは,まだすべて手書きなのが普通だったので,執筆の電子化がゲームブックの登場を即した重要な技術だったことは間違いないと思う.
[7.4] 家庭用ゲーム機と並行して,日本語が扱えるPC-9801などの16ビットコンピュータも普及し,テキストアドベンチャー形式の様々な名作ゲームが生まれつつあった.それらがゲームブックの生存にとって有利な出来事ではなかっただろうことを思うと,ゲームブックはパーソナルコンピュータによって生まれ,パーソナルコンピュータによって,いったんは死地に追われたのかもしれない.
[7.5] ゲームブックがその後も根強く出版され続けるジュブナイルという分野が,スマートフォンやコンピュータの戦場から遠いのも,こういった事情に関係があるだろう.
[8.1] 『火吹山の魔法使い』が『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の面白さを本で実現するために企画されたのだとするなら,ゲームブックの始祖はTRPGということになるが,同時に,TRPGの面白さを,コンピュータで実現しようとする者たちもいた,コンピュータRPGである.
[8.2] DEC社のメインフレームで動く『Pedit5』(ラザフォード 1975)などの初期作品は,メインフレームの使用目的に適合するか(使用料は高価で,一般に研究所などの組織が負担していた)という戦いを経て,Ultimaシリーズの祖である『Akalabeth』(ギャリオット 1979)などに発展していく.
[8.3] 同じころ,『Colossal Cave Adventure』(クラウサ 1976)が,メインフレーム上でフルテキストで,やはりD&Dの面白さを再現する.このソフトは,後にシエラ・オンラインのミステリーハウス(ウィリアムズ 1980)につながる.同作は,テキストに加えてシーンの描写にグラフィックも加えた画期的なものだったが,テキストを入力して,出力されるテキストを楽しむタイプのゲームのジャンル名に,『Colossal Cave Adventure』の「アドベンチャー」という言葉が残った.
[8.4] アドベンチャーゲームは,魔物との戦闘やキャラクターのレベルアップを楽しむRPGのゲーム的な面白さと交差しながらも,ストーリーの進行をテキストで楽しむゲームとして一定のファンを確保していった.RPGの境目は,ときにあいまいだが,謎解き,脱出,推理などの面白さを取り入れたストーリーを楽しむゲームジャンルとして,アドベンチャーゲームは今でも認識されている.
[8.5] ゲームブックのブームの後,ファンたちは,PCソフト,Nintendo DS,携帯電話やスマートフォンで動くアドベンチャーゲームに,興味を移していったという可能性があるだろう.
[8.6] これは制作者たちも同様であり,東京創元社から1985年に『ゼビウス』が出版されているが,原作のメーカーであるnamcoは,自ら著者となっている(古川・ナムコ 1985).また,1987年の『ドラゴンバスター』の古川尚美 (1987),1988年の『ワルキューレの冒険』の本田成二・木越郁子らは (1988),いずれもコンピュータゲームの制作に関わりのの深い執筆者たちである.
[8.7] アドベンチャーゲームは,90年代から00年代にかけて,「弟切草」(中村・山名 1992),「かまいちたちの夜」(中村, 麻野, 我孫子 1994) などのホラー,推理ものの路線と,「同級生」(エルフ 1992),「Kanon」(Key 1996)などの美少女恋愛ゲームの路線に分かれて発展していく.
[8.8] プラットフォームは,PCからNintendo DS,そして携帯電話,スマートフォンへと移り変わる.インターフェースもテキスト入力からコマンド選択が主流になり,遊びやすい作品が無数に登場する.前者の系譜に「逆転裁判」シリーズ (稲葉, 末包, カプコン 2001),後者には「ひぐらしのなく頃に」(竜騎士07 2002),「Fate/stay night」(武内・奈須 2004)などが連なる.
[8.9] いつしか,ストーリーを選択していくタイプのゲームブックの面白さはゲーム機で楽しめるようになった.さらには,音楽や効果音,優れたグラフィックが色を添える.
[8.10] だが,それらのソフトウェア群は,その一方で常にゲームブックと同じ問題を抱える.
[8.11] 競争が激化する美少女ソフト群は,作品の大作化(パラグラフ数,グラフィック数の増加),制作費の高騰を起こし,開発メーカーのリスクを増大させた.謎を売り物にした推理アドベンチャーは,難易度のインフレ,プレイ時間の増加,新しいアイデア,優れた作家の不足に悩む.
[8.12] パラグラフ選択式ゲームブックが付きあたった壁である.
[9.1] クトゥルフ神話を取り扱ったTRPGが(メイソン, フリッカー, ピーターセン 2019; ピーターセン・ウィリス 2004),日本では大ブームになっている.
[9.2] TRPGの再興が,インターネットでのリプレイ配信で起きたのだ.
[9.3] それを見て参入してきたビギナーは,TRPGのルールブックの値段に驚く.
[9.4] その一方,90年代のファンが呼び戻されて,少数だが熱意あるユーザーとして,高額なルールブックをいとも簡単に購入してくれる.かつて若者だった彼らも年齢を重ね,趣味に充てられる金額が大きくなっているのだろうか.TRPGのルールブックは一般書に比べ高価に設定されることが多いのだが,その販売は好調だ.ベストセラーが出にくい市況の中,書店にとって利益の大きい商品になっていると聞く.
[9.5] 思えば,ゲームブックは安かった.
[9.6] ひとつには,ゲームソフトのの代替品としての存在であったため,子供用というロジックがあっただろう.
[9.7] だが,小説に比べて,本の中での滞在時間が長いゲームブックは,もっと適切な値段で販売されるべきだったかもしれない.
[9.8] 限られた熱心な読者に対して,高額だが価値のある商品を提供できる流通経路が必要だったのだが,当時は無かった.また,制作コストから適切な価格を設定する技術も乏しかった.
[9.9] いま求められているのは,高価でもいいが高品質なゲームブックの提供であるという仮説もある.
[9.10] それが,ソフトバンク・クリエィティブの行う「ファイティング・ファンタジーシリーズ」の受注生産によってなされているとしたら,この流れが新しい何かを生み出してくれるかもしれない.4
[10.1] ゲームブックが流行していたちょうどその頃,インターネットの商業化が実現し,ブラウザソフトウェアが,ハイパーリンクの威力を世界に見せつけた.マッキントッシュのハイパーカードから何年たったであろう.あらゆる表現を,リンクでつなぐ.そのリンクが世界に広がった.
[10.2] それが,人間のしたいことなんだよね.そんな気持ちになった.
[10.3] 何かを選ぶ,それが人であり,選ばられるのは未来である.未来はいつも,すごいものを見せてくれる.しかし,無限の広がりがあるインターネットと違ってゲームブックは小さな世界だ.有限だからこそ,一人の人間が,作品として完成できる.
[10.4] ビデオゲームは容易に巨大化し,それが誰の作品か,作っている者にさえ分からならなくなることがある.
[10.5] 作者が作者としてふるまえる場所として,ゲームブックはもっともっと個性的であっていいと思う.
[10.6] パラグラフ選択式ゲームブックは,コンピュータの普及で書きやすくなり,直後,その普及で読み手を失ったのかもしれないと書いた.
[10.7] ゲームブックの再興を盛り上げていきたいと願うとき,パラグラフ選択式のゲームのエッセンスは,PC,Nintendo DS,ケータイを経てスマートフォンのゲームへと活躍の場を広げていることに気づく.
[10.8] だがしかし,華やかに見えるそれらのゲーム群も,よく見ればゲームブックと同じ壁にぶつかってあがいている.
[10.9] もっと問題なのは,それらのゲームが,語り伝えられるプラットフォームを簡単に失いがちなことだ.技術の進歩は早く,ハードウェアは更新される.00年代から10年代にかけて,PCやDS,携帯電話やスマートフォンで遊ばれた傑作を,かなりの数,ぼくらは,もうプレイすることができない.
[10.10] もしかしたら,1000年後に,『火吹山の魔法使い』だけが,美術館にあるなどということが,紙ではおきるのかもしれない.ゲームブックを化石のように利用して,21世紀の初頭を想像するなどということが,考古学者によってなされる心配はないのだろうか.ゲームブックはもっと,電子の成果を後世に残すメディアだと自覚してもいいのかなと,本稿を書いているイタリアで,ふと思ったりした.
小論をまとめるにあたって,たくさんの文献,インターネットサイト,SNS,書籍を参考にさせていただいた.そのすべてを挙げることはできないが,ゲームブックに熱意を持って取り組んでこられたそれらの作者の方に敬意を表し,深く感謝したい.
また,本稿の記述に当たっては,筆者が一部の作品について当事者であることもふまえて,できるだけ客観的な記述を心掛けたが,印象批評の域を出なかったり,至らぬ点も多かろうかと思う.現場に立ち会った部分については,今後の研究に資するかと考え,未公開の話も記述したが,オーラルヒストリーの陥穽に陥っていないか,更なるご検討をいただければと思う.
アナログゲームやその関連物を出版している翔企画(編集兼発行人鈴木銀一郎)による『シミュレーター』は1985年6月から1991年6月まで出版された雑誌であり,34号を刊行した.↩︎
イギリスの『ウォーロック(Warlock)』は,ペンギン・ブックス(1号~5号)およびゲームズ・ワークショップ(6号~13号)により,1983年から1986年まで出版され、社会思想社の日本語版は,1992年3月まで63号を刊行した.↩︎
日本語版ウォーロックの記事から各年の出版数を推定.同じ時代の有力作品名を紹介したNoteの記事(ハイランス 2023).↩︎
ファイティング・ファンタジーの復刊に合わせて『イアン・リビングストン編 巨人の影』付録として書かれた翻訳家安田均による解説を参照(安田 2023).↩︎